或る青年経済人の覚書

最近の政治と経済を中心として書きます。

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殉国七士廟・比島観音を訪れて

殉国七士廟伝えられない真実!!』の流れで、本日は、映画監督函南町会議員と国を憂う方々の御一行に一般市民の新三が末席を汚させて頂いた。このような集まりにお誘い頂けるのは非常にありがたい。
写真はホームページより頂いた。

映画「南京の真実」 第一部 「七人の『死刑囚』」の主人公たちが眠る殉国七士廟を訪れた。私(新三)が、つたない説明を行うより素晴しいホームページがあるのでそちらをご覧頂きたい。何故この地に、これだけ素晴しいや慰霊碑があるのかは、先ほどのホームページから引用させて頂いた下記をご覧頂きたい。まずは、その規模に驚いた。後、これだけ素晴しい廟があることを知らない私の無知にも驚いた。大東亜戦争を肯定するか否定すると言う議論はさて置き、戦争を忘れないためにもこのような施設は非常に必要である。

非常に不思議なことに朝出かけた時には豪雨であったが着いた時には小降りになり、殉国七士廟、比島観音や慰霊碑を案内頂いた時には、雨も上がっていた。なんとなく招かれているような気持ちになった。雨が降り止んですぐと言うこともあって霧が立ち込め幻想的な雰囲気であった。霧が無ければ素晴しい三河湾が一望できる眺めが見られるわけだが、ある意味霧の景色も素晴しいものであった。

日本のために戦った方々がいたことを忘れてはならない。戦争をしなければならなかった当時の状況を推し量ることは私では出来ないが、私たちの祖先である当時の日本人が大東亜戦争で亡くなっている。この土地を訪れたことで、全ての責任を背負って戦勝国に処刑された戦犯が眠る土地を改めて守っていかねばならないと思った。

昭和二十年八月十五日終戦となった太平洋戦争(大東亜戦争)の責を負い、アメリカ、中国、イギリス、ソビエト、オーストラリア、カナダフランス、インド、ニュージーランド、フィリピン、オランダの十一ヵ国は極東軍事裁判を開き、事後法に依り審判と評決によって七名の絞首刑を決定し、昭和二十三年十二月二十三日未明A級戦犯として刑の執行がされたのである。当時としては命がけで火葬場から東條英機大将をはじめ七名の遺骨を収得しようと決心したのは、絞首刑の言い渡された昭和二十三年十月十二日の午後ことであった。

なぜならば各担当当弁護士が遺体の家族引渡しの件でマッカーサー司令部を訪ねたが了解を得ることができなかったからである。このままでは遺体も家族には引き渡されず極秘のうちに処分されること明白となるので、「罪を憎んで人を憎まず」という日本古来の仏教思想からしても、武士道精神として勝者が敗者の屍に鞭打つ行為は許されない。又日本の将来の追及のためにも日本国犠牲者として処刑される七名の遺骨は残さなければならない。そこで遺骨だけでも家族になんとか渡したい一念により大冒険が数名の有志で計画され、その事の実行に当たっては綿密な計画を要したが、それには先ず刑の執行日を速やかに探知しなければと極東裁判米国裁判某氏よりやっとのことで七人の刑の執行日はクリスマス前日十二月二十三日で、火葬場も横浜市久保山火葬場と推察することができた。横浜久保山にある興禅寺住職市川伊雄を通じ、久保山火葬場長飛田美善氏の協力を得ることにも成功した。しかし当日は米軍の監視が厳重であり、一度は当初の計画通り七名の遺骨若干を一体ずつ別々に密かに米軍の目を盗んで奪取し、一応計画は成功したに思われたが、飛田氏がこれらの遺骨の前に日本人の習慣として供えた線香の不審に思い感づいた米軍人に取り戻されてしまった。

しかし、その時遺骨本体は既にトラックに積み込まれた後であったので米軍も面倒だと思ったのか奪取七名の遺骨を全部一緒の混ぜ、幸いにも近くにあった火葬場内の残骨捨場に遺棄して帰ったのである。この時米軍が持ち去った七名の遺骨は全て粉砕し太平洋上に投棄されたとの風評があるがどの様に処理されたのか真偽の程はわからない。そこで翌日二十四日はクリスマスイブであり、浮かれて米軍の見張りが手薄になることを知った三文字正平弁護士と興禅寺住職市川和尚は、木枯らしの吹き荒れる夜半、黒装束に身をかため、飛田火葬場長の案内で目的の現場に入り込んだ。暗くても、灯火と物音は禁物である。骨捨場の穴は深くて手の届くはずがなく、人が入れる入り口も無いので思案の結果、火かき棒の先に空き缶を結びつけ苦心して遺骨を掬いとることに成功し、ふつうの骨壷にほぼ一杯を拾い上げて密かに持ち帰った。遺棄された真新しい真っ白の遺骨は紛れもなくこの世に唯一の七名の遺骨でありこれを奪取すことに成功したことは一生を通じ命を賭した熱き長き一日の出来事であった。 

こうして取得した遺骨は一時人目を避けて伊豆山中に密かに祭られていたが、幾星霜を重ねた後遺族の合意の下に財界その他各方面の有志の賛同を得て、日本の中心地三河湾国定公園三ヶ根山頂に建立された墓碑に安置されることになり、昭和三十五年関係者と遺族が列席して墓前祭が行われたのである。

以来毎年四月二十九日の天皇誕生日のよき日に例大祭を行うとともに時折遺族が訪れて供養し、又一般の人々や観光客が花を手向けて供養する数を増し、更に戦病死された戦没者の霊をまつる慰霊碑が数多く建立され、これらの遺族や戦友も度々ご参拝にまいるようになり世界平和を祈願する多くの人々により三ヶ根スカイパークの名所としてクローズアップされてきた現在である。
三ヶ根通信殉国七士廟由来より引用


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