私と公すなわち個と集団
メディアや知識人やを政治家コントロールすることは難しいが、選択することが出来る。良く分からないメディアは相手にしなければ良いし、政治家にいたっては国会から去っていただくことも理論的には可能である。実は一番の問題は私も含めた国民自身の考えにあるのではないかと考えるように至った。虚無の底辺の渦中の中で私事しか省みれない大多数の日本列島人とマスコミは、上辺をそれらしく言い罵って終わり。直後忘却。
国民性及び文化の違いとはいえ、国家間の、明らかに相手国が都合が悪い問題においてさえ怨みを自然に感得出来ない。私事限定社会の成せる技です。
このような状況において、最低限「ちょっとご覧なさい」、と注意換気をすべき存在がマスコミ、知識人、政治家達の筈ですが…
今日も本質は隠したままのレトリックトーク。
万事ことなかれ。
k.1さんのコメント全文を転記
年金未納、市民病院の医療費の未納、給食費未納と言った昔では聞いた事がない問題が起こっている。自分さえ良ければ良いという考えが社会に広がっているのではないだろうか。
北朝鮮問題で拉致問題より核の問題が重要との考えがあるのも事実である。核は自分に関係あるが、拉致は自分には直接影響がないからそのような考えが生まれるのではないだろうか。私にしてみればどちらも非常に重要な問題である。全ての拉致されている日本人が北朝鮮から帰国したとしても核を投下されれば、帰ってくる場所すらなくなってしまうわけである。核の脅威がなくなったからといって、拉致の問題が解決しないまま私には関係ないこと高を括っていられるであろうか。
あまりにも“私”の考えが強すぎるのではないだろうか。秋葉原の事件で真相は分からないが、私は不幸だ、負け組だと決め付け、死刑になるために多くの犠牲者を出そうという考えであったのであれば、あまりにも身勝手と考える方々が多くいるのではないだろうか。少なくとも私はそう考えている。
日本には『和をもって尊しとなす』と言う考えがある。私の考えがあまりにも強すぎれば和を作ることすら出来ない。いずれは国家が崩壊してしまうのではないだろうか。社会保障制度、給食制度、市民病院など日本社会の多くの制度が互助会と言う考えに成り立っている。すなわち助け合いの精神である。私ではなく公として集団としてみんなで良くなっていこうとするものである。
後期高齢者医療制度も財源を明確化したまでは良かったが、高齢者だけを切り離してその部分だけを論じると言う制度がこのまま続けることが可能なのであろうか。現時点での医療費は33兆円である。そのうち3分の1が高齢者分ということでそのうちの1割程度の1兆円を後期高齢者(75歳以上に)負担してもらおうと言う制度が後期高齢者医療制度の一部分の考えである。今後の医療費の増加は、残りの22兆円より高齢者部分の11兆円のほうがはるかにのびるとシミュレートされている。1割の負担ということは必ず増えていくわけである。社会全体で助け合って負担していた高齢者医療を切り離して運用できるはずがないというのが私の考えだが間違っているだろうか。高齢者が医療費を負担すると言う考え自体は間違っていないと思う。しかし、払えない人にまで押し付けて結果、病院に行くことを控えようとさせたのでは、医療制度事態が破綻していると言わざる負えない。
様々なことが“私”社会の弊害であるように思えてならないのである。
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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済
コメント
こちらこそお世話になります。
無題
三島由紀夫氏曰く、
「人間の最高の願望は、自分が死ぬ時に世界も同時に滅びる事だ」と。
人間の本質がその様である事を明確に実証しているのが今の日本。
私事限定の合理的思考からすれば正論と言える。
この正論が多数派な現状に加えて公器・公共の消滅。俗衆パラダイスといったところでしょうか。
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「人間の最高の願望は、自分が死ぬ時に世界も同時に滅びる事だ」
なるほど関心は出来ませんが、共感するところもありますね。
まさしく、多数派になっているところが恐ろしく、私的な部分を大きく強調すると言うのは日本社会においては恥とされたと思うのですが、最近はそうではないようです。